長嶋茂雄の喪主は一茂じゃないのはなぜ?三奈が務める理由が気になる

2025年6月3日朝、日本中に大きな衝撃が走りました。

「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんが肺炎のため89歳で旅立たれました。

 

発表によると、告別式は近親者のみで執り行われ、喪主は次女・長嶋三奈さんが務めるとのこと。

ここで多くの人が疑問を抱いたと思います。

「長嶋家といえば長男・一茂さんが有名なのに、なぜ喪主は妹の三奈さんなの?」

 

今回は、その背景となる出来事と理由を徹底考察していきます!

 

ご年齢的には確かにそうなんですが、第一報では耳を疑ってしまうほどのショックなニュースでした。

 

ご冥福をお祈り申し上げます。
目次

長嶋茂雄の喪主は一茂じゃないのはなぜ?三奈が務める理由

一茂が絶縁状態になった原因の出来事

出来事①

2004年、長嶋茂雄さんの妻であり、一茂さんの母である亜希子さんとの別れ

茂雄さんは、この時体調を崩されており、最期の時に立ち会えなかったそうです。

この頃から徐々にすれ違いが生じたようです。

このことから亜希子さんが長嶋家での潤滑油的存在だったことがうかがえます。

 

出来事②

2009年、長嶋一茂さんがご自身の事務所にて、お父さんのお名前『長嶋茂雄』を商標登録しようとされたそうです。

ですが、三奈さんは父・茂雄さんのマネジメント事務所「オフィス・エヌ」を運営していました。

その後、茂雄さんの権利関係は「オフィス・エヌ」で行う形となったようですが、この一件で兄妹間の溝が深まってしまった可能性があるようです。

 

長嶋茂雄の喪主は長男・一茂でなく、次女・三奈が務める理由とは?

出来事①②から、雰囲気はお察しいただけると思います。

ここからは具体的な理由について、文章にまとめていきます。

 

喪主は「家督」ではなく「信頼関係」がカギ?

一般的に「喪主=長男」が慣例とされることが多い日本社会。

しかし、現代では「家の代表」というより、故人の思いを一番理解し、適切に送り出せる人が選ばれる傾向にあります。

長嶋茂雄さんのケースも、まさにそれに当てはまるのかもしれません。

 

長嶋三奈さんは「父の影武者」であり「理解者」

一茂さんは、お父さんの背中を追って、野球選手になられたわけです。

ですが長嶋三奈さんも、かつてテレビ朝日のスポーツキャスター・プロデューサーとして活躍されていました。

特に「熱闘甲子園」では長年ナレーションも務めるなど、野球と深く関わり続けてきた存在!

 

一方で、2004年に父・茂雄さんが脳梗塞で倒れて以降は、メディアから徐々に退き、父の健康管理やスケジュール、取材対応などを裏方として支え続けていたと報じられています。

つまり、亜希子さんが旅立たれた後、長嶋家をまわしていた中心的存在が三奈さんだったと言えるのです。

 

マネジメント事務所「オフィス・エヌ」代表取締役が三奈さんである

亜希子さんの後を継いで、「オフィス・エヌ」の代表取締役を務めてきた三奈さん

茂雄さんと一茂さん、一茂さんと三奈さんの不仲ということであれば、長女(有希さん)や次男(正興さん)が喪主でもよさそう。

長男:一茂(1966年1月26日)

長女:有希(1967年5月12日)一般人

次女:三奈(1968年6月3日

次男:正興(1970年9月26日)元レーサー

 

ですが、長嶋茂雄さんのマネジメントをしてきた三奈さんが喪主に選ばれたと考えれば、自然な選択だと感じます。

 

三奈さんの56歳のお誕生日に茂雄さんは旅立たれたということになります。

 

また、89歳(野球)というのも、不思議な巡りあわせですね。

 

長嶋茂雄さんの意向

これまで、大きな病を経験されてきた長嶋茂雄さん!

ご年齢も平均寿命を超えられ、終活もされていたと思います。

 

喪主・家族葬など、ご本人の意向が反映されている可能性が考えられますよね。

やはり身近で、気持ちを通わせていた次女・三奈さんに任せたいという気持ちがあったのではないでしょうか。

長嶋茂雄さんの歩み

生年月日 1936年2月20日
出身地 千葉県
身長 178cm
愛称
  • ミスタープロ野球
  • ミスタージャイアンツ
  • ミスター
  • チョーさん
  • 燃える男
  • ON砲(王貞治さんとのバッティング好成績の称)
憧れた野球選手
  • 大下弘(東急フライヤーズ)
  • 藤村富美男(大阪タイガース)
野球を始めた時期 小学校4年生
高校時代 読売ジャイアンツからスカウトの話が来たが、父・利が独断で断る。
大学 立教大学で野球部に入部

  • 中日ドラゴンズに入団を直談判するも断られる
  • 本命は南海ホークス
  • 読売ジャイアンツが長嶋家を口説き入団を決める
1958年 読売ジャイアンツへ入団。

背番号『3』

1974年 現役引退し、監督へ
1980年 監督を解任され、スポーツ外交官的存在に!
1992年 巨人の監督に復帰
2001年 監督業から勇退。

 

まとめ

今回は、長嶋茂雄の喪主は一茂じゃないのはなぜ?三奈が務める理由が気になるについて、調査しました。

それではまとめです。

ポイント 内容
長男一茂さんは喪主ではない理由 家族内の役割・信頼関係に基づく判断
長嶋三奈さんの役割 介護・スケジュール管理・実務支援を担っていた
現代の喪主の選び方 家督より「最も故人に寄り添った人」が選ばれる傾向

 

長嶋茂雄さんが歩んだ国民的スーパースターの道。

その最期を誰よりも近くで支えたのは、次女・三奈さんでした。

長嶋茂雄さんが、妻・亜希子さんとの別れの後、三奈さんを信頼し、公私ともに二人三脚で歩んでこられたことが、喪主の選定に繋がったと考察しました。

 

今後開催されると思われる「お別れの会」には、多くの著名人や野球関係者が参列すると見られます。

また、追悼番組や長嶋茂雄ミュージアムが開催される可能性も考えられます。

詳細が発表され次第、当ブログでも随時更新していきます。

 

このように存在感のある方の旅立ちは、時代の移り変わりを感じ、切なくなりますね。

同時にミスター語録で楽しませていただいた当時を思い出し、感謝の念も湧いてきました。

 

長嶋茂雄さんの喪主について、気になる方のお役に立てたら幸いです。

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